対人援助を考える。

対人援助の仕事を通じて考えたことの備忘録です。

高齢者と将来を語ること

私は,問題の原因を探るよりも,クライアントの価値や,変化を起こすための強みを探るようなアプローチが好きです。いわゆるストレングスベースで,未来志向の立場ですが,一定の年齢以上の方と話していると,「もう年だから,今のままで良い。」という言う人が少なくありません。もちろん,本人も周りも困っていないならば,それでも良いのかもしれませんが,その人個人にとっても,社会にとっても困った事態が起こっています。それでも,現状維持で良い,なぜなら残りの人生が短いから,という立場を堅持するのです。

若いクライアントなら,「今の〇〇のままだとして,10年後はどうなっていそうですか?」と聞くと,もしかすると,10年後も今と同じでは嫌だ,という答えが返ってくるかもしれません。しかし,高齢者に同じ質問をしても,「生きているかどうかも分からない。」と一蹴されてしまいます。未来志向の限界を感じることもありました。

しかし,バトラーの「回想法」を考えてみると,「過去を探るのは,問題を探ることと同義ではない。良い思い出を引き出すことは,強みを見出すことにも繋がるのではないか?」と思い,高齢者との面接において,「〇〇さんの今までの人生の中で,一番良かったことを教えてください。」と尋ねたところ,色々と話してくれたのです。
機を見てクライアントの話を要約した上で,「その頃の充実感を,何分の一かでも味わうためには,どうしたら良いでしょうね?」と尋ねたところ,ささやかではありますが,十分に実現可能な将来の話をしてくれたのです。

つまり,高齢だから将来に希望が持てないのではなく,こちらがクライアントの準備性の先を行っていたので,話題が展開しなかったのでしょう。

なぜクライアントの先を行くようなことをしていたのか。それは,もしかすると,高齢者の人生の残り時間が短いという思い込み,憐憫の情のようなものがあったのかもしれません。面接の中で,「残りの人生」という言葉が出そうになって,「いや,そう言うと,老い先短いことを突き付けるようだ。」と飲み込んだ経験があります。
残り時間が短くなっていることは現実であり,そのことへの恐れを抱いているかどうかは人それぞれです。むしろ,私自身の恐れのようなものが「早く変化してもらいたい」という思いを生じさせ,結果としてクライアントの先を走らせることになっていたのかもしれません。

過去の話をして良い時代を思い出し,その頃に少しでも近付きたいという思いを引き出すことができたからこそ,将来の話が出てきたのでしょう。改めて,面接はクライアントとの相互作用の中で起こっており,カウンセラー側の思いも相互作用に影響を及ぼすことを感じさせられた体験でした。

学会参加記録(2)

最終日(10月6日)の午後は、盗癖と性的問題行動に関するセッションに参加。難しいケースに果敢に挑んでいることが分かる実践発表でした。フロアから、医療費の点数に関する質問がありましたが、確かに、「よし、自分たちもやろう!」と思っても、病院の経営的な視点からは、簡単に始められないのだろうと思いました。発表されたクリニックの志の高さが素晴らしいです。
このセッションでは、条件反射制御法についても紹介がありました。今まで何度か研修に参加したこともありますが、賛否両論なやり方であり、今は実施していません。ふと思ったのは、今回のような伝統ある学会で、実践例を報告して議論した方が良いのでは、ということです。そうやって技法や理論を精査していくことで、誤解を解くことができるでしょうし、効果の有無や作用機序を明らかにしていくことも重要ではないかと思いました。
それはさておき、今回の発表を聞いて、第一信号系と第二信号系という考え方は有用と感じました。条件反射制御法の手続きや、欲求そのものを消失・低下させるという方向性が批判の的になっているところですが、極度の疲労やストレスといった状況では、第一信号系(動物的な脳など)が優位になりやすい、欲求の対象に近い場面では、あえて第二信号系(人間的な脳)が優位になるよう、メールを書くといった対処をする、といった説明には、納得させられました。確かに、強い疲労を感じている時は、本能的な行動に及びやすいことは、誰しも実感しているところでしょう。クライアントが、自らの問題行動は第一信号系によるものと理解しておくと、意思の弱さを嘆くのではなく、戦略的に対応しようという動機付けが高まるかもしれません。第一信号系が優位になる場面を避ける、という対処方法は、刺激統制や確率操作といった行動の生起条件に介入する手法に通ずると感じました。信号系に関する理論は、臨床の様々な場面で応用できそうだと気付いたことが、このセッションに参加した収穫です。
複数の理論を学び、実践に役立てることが自分のテーマですので、今後も一見相容れないと見える緒理論に共通することや、相補的に使える部分に関心を向けながら学び続けたいと考えています。

2019年度アルコール・薬物依存関連学会合同学術総会に参加

標記学会に参加してきました。一番聞きたかったものが自分の登壇時間と重なってしまったのは残念でしたが,スティグマについて考えるシンポジウムは,とても良かったです。普段の業務の中で,依存症を抱えた方のグループをやっているので,実体験と重ね合わせながらの聴講でした。以前にも講演を聞き,著書も購入した小林桜児先生のお話は,とても納得のいく内容で,やはり依存症の本質は,人間関係の問題だということを再認識しました。人が感情をコントロールする能力の容量は決まっており,過去の逆境体験によって,感情をコントロールせざるを得ない体験を積み重ねてきた人は,その容量が低下しており,それが物質使用などに関連している,とのことです。他の先生のお話も,非常に分かりやすく,普段の実践を見直す良い機会でした。自分の中に,依存症を抱えた方に対するスティグマはないのかと問うと,全くないとは言い切れないかもしれません。成瀬先生もおっしゃっていましたが,スティグマを持つのは人として当然だが,専門職として,自分の中のスティグマに対して自覚的になっておく必要性があるのでしょう。今回の学会に参加して感じたこととして,もう少し当事者の方との交流を持つことも大切ではないかということです。各団体のフォーラムなどには,できるだけ参加しようと思いつつ,なかなか都合がつかず,参加できないことも少なくありません。現在,交流がある当事者の方は,私が企画した勉強会や依頼を受けた講演会などに来てくれる方が中心です。少し受け身になっているのではないか,オープンミーティングに顔を出すなど,自分から出ていく機会をもう少し作った方が良いのではないか。自分の中にある依存症に対するスティグマを見つめる上でも,当事者の方々との交流をもっと大切にしたい。そんなことを思う機会になりました。参加費は高いですが,やはり学会に出ると刺激を受けることができます。

公認心理師試験に向けて~認知症

公認心理師受験に向けた勉強を始めましたが,「国会試験の王道は過去問」ということで,ざっと見ているところです。今は,今年行われた第2回試験の問題を取り上げ,詳細に解説している,「公認心理士・臨床心理士の勉強会」というサイトを見ています。

https://www.public-psychologist.systems/

こんなに充実したサイトが無料で見れるなんて,ありがたい時代になったものです。第1回試験を詳細に解説した本が何冊も出ており,1冊の本としてまとまっている良さはあるものの,ネット上に同等の充実した解説があるので,いずれ売れなくなるのでしょう。

過去問を見ている中で,認知症に関する問題が随分と出題されていることが分かってきました。医療現場での経験がないため,あまり知識がない分野です。以下,覚書として,認知症のポイントになりそうなところをまとめてみます。

 

認知症の症状は,中核症状と周辺症状(BPSD)に大別される。中核症状は,記憶,判断力,問題解決能力,実行機能,見当識の障害,失行・失認・失語であり,周辺症状は,幻覚や睡眠障害などの心理的な症状,暴言・暴力,徘徊などの行動的なものがある。認知症の種類は,アルツハイマー型(最も多く,女性の方が多い。記憶を中心とする認知機能の障害から進行していく。言語機能や運動機能はあまり目立たない),血管性(脳血管障害により発症。記憶障害は少ないが,感情が変わりやすい。男性に多い。),レビー小体型(アルツハイマー症状とパーキンソン症状の併存が多い。アルツハイマー型の次に多い。遂行機能や注意の障害が目立つ),前頭側頭型認知症(ピック病が代表例,被影響性,反社会的行動が見られ,記憶などは比較的保たれる)がある。アルコール依存症による認知症(ウェルニッケ症候群~運動障害,意識障害コルサコフ症候群~記銘力障害,作話,見当識障害など。記憶の保持ができる点について過去問に出た)もある。アルツハイマー型,レビー小体型では,抗認知症薬を用いる。回想法やリアリティオリエンテーションといった心理的アプローチが用いられる。

 

上記は最低限の知識であり,脳のどこが障害されているかも覚えておいた方が良いでしょうし,薬の名前やアセスメントのための検査も覚えておく必要があります。まずは,上記の内容を繰り返し頭に叩き込みたいと思います。

 

試験範囲が広いですが,幅広い分野に関してある程度体系的な知識を身に付けるためには,良い機会と考え,勉強に励みたいと思います。

クライアントの感情への応答について

昨日は,1年くらい前から依頼されていた研修会を行いました。学会のプログラムの1つで,最終的な参加者は100名を超えました。普段から共に学んでいる仲間が応援に駆けつけてくれ,滞りなく済ませることができました。

相手の発言,例えば「こんな面倒なことはやりたくない。」といった発言に対し,「一方的に押し付けられた感じで不満を感じているのですね。」と感情を返すことを例示しましたが,それに対し,「不満なのですか?」と質問した方が良いのでは,という意見がフロアから出ました。「不満なのですね。」は決めつけているような感じではないかという疑問です。非常に難しいところだと感じました。教科書的に答えると,質問よりも語尾を下げて聞き返す方が相手が考えやすい,とか,もし不満ではないなら,「不満というか,〇〇で・・・」のように説明をしてくれる,つまり,会話に弾みをつけてくれるのだ,ということになるのでしょうが,そういうことではないなと感じました。経験上,「不満なのですね。」と返すことで,抵抗が起こったり,カウンセリングの展開が滞ったことはないので,それを言おうとも思いましたが,それでは質問者の疑問に答えることにはならなさそうです。結局,「確かに微妙なところであり,そういった疑問を抱くこと自体がクライアントに対するより良い支援を考えている証左ですね。」みたいな曖昧な答えになってしまいました。今思うのは,エクササイズでクライアント体験を重ねることで,感覚的に理解してもらうことが一番良いのだろうということです。実際に私が答えた内容の後に,「教科書的には〇〇ということになります。一方で,一番大切なのは体験的理解だと思います。WSや勉強会への参加を積み重ね,『~ですね』と言われた時の感覚に注意を向けてみることをお勧めします。」みたいな感じが良かったのかもしれないと思いました。教科書的な知識を伝達しつつ,受講者の選択権を保障し,なおかつ,継続学習を促すことができたのかもしれません。まあ,カウンセリングと同じで,正解はないのだと思いますが,こうやって振り返ること自体は大切なことです。

次は,今月下旬に1日WS,10月にアディクション関係の学会での講義があります。今回の大舞台から得たことを活かし,より良いものを提供できるようにしたいと思います。それが支援者を元気づけることになり,ひいては,自分は会うことがない多くのクライアントのためにもなります。以前は,支援者に教える立場になることに対し,「こうやって講師で呼ばれると,現場にいる時間が減ってしまう。より良い支援のために学んできたのに,現場にいる時間が減るなんて,本末転倒なのではないか。」と考えることも多かったのですが,最近は,そこからは脱してきたように感じています。

クライアントにとっての外圧と一体化しないこと

 最近,業務の中で,それまでは対象ではなかった方々と関わるようになりました。集団への参加を強く拒み,孤立している方々です。そういった方々に個別に働き掛け,同じ立場の数名で構成するグループへの参加を促しています。最初は完全拒否だった方も,関係性ができるにつれて,少しずつ思いを話してくれるようになります。

 とはいえ,そう簡単ではありません。それぞれの事情や考えがあって,ある意味,外圧に屈することなく,一人で生活している方々なので,私がその外圧と一体になるようでは,結果は目に見えています。こういう時は,外圧とその人の間に立って,両者の間にある葛藤を協働作業で解決する,という立ち位置が一番です。「~しろという圧力はあるし,あなたは,今はそうはしたくないと思っている。この問題をどうしていくのか,一緒に考えませんか。」という感じです。そうやって協働作業ができるようになるのですが,そこから先に進むことは容易ではありません。集団に参加することのメリットとデメリットを比較すると,どう考えてもデメリットの方が大きいという結論になってしまうのです。もちろん,得失を等分に検討すると,両価性は解消されないので,そこは色々な戦略を使いながら進めているわけですが,同じ立場の数名で構成するグループへの参加までは漕ぎつけることができても,そこから先は難しい。

 ただし,彼らに他の人と同じ生活を求めることが良いのかどうかは冷静に考えたいところです。無理に促すと,それこそ彼らが戦っている外圧と同じことになってしまうからです。目に見える結果,周囲が私に求める結果を追い求め始めた時は,「そもそも,これは何のためにやっている?」と目的がぶれないようにしなくてはならないと思います。しかし,彼らが戦っている外圧と一体化しないことが大事である一方,彼らが今の状況から脱することができることには,当然メリットがあります。そのメリットは,彼らには見えていません。外から言われ,頭では分かっているのでしょうが,直視はしません。私のやるべきことは,それを直視した上で,最終的な行動を選択してもらうことなのでしょう。彼らにとっての外圧と一体化するのもダメだし,彼らの立場に寄り添うだけでもダメ。その間で,うまくバランスを取りながら,自己決定を促す。非常に難しい課題ですが,難しいからこそ,やりがいもあるのだと思っています。

やりたいこととやるべきこと。

 多くの人は、やるべきこととやりたいことの間で生きています。やりたいことばかりに偏ると、様々な生活上の支障が生じてきますし、やるべきことばかりに偏ると、つまらない人生になってしまいます。現実原則に従いつつ、快楽原則を満たすのが、健康な在り方です。
 あるケースで、やるべきことに縛られる生き方に無理が来たようで、逆に振れてしまい、やりたいことしかやらないという極端なスタンスに立ってしまい、社会生活が困難になってしまったクライアントがいました。人の意向に沿い、自分を押し殺さざるを得ない生活から離脱し、完全に自分優先になってしまったのです。こういったケースの場合、やりたいことをやり続けるためには、やるべきことをやる必要があることに気付いてもらうしかないと思います。やりたいこと以外一切やらないというスタンスでは、結局やりたいことができなくなります。しかし、言うは簡単ですが、これほど難しい課題もありません。おそらく、その人の生育過程で身に付いた強固な反応だからでしょう。
 人は、育つ中で、まずは欲求が満たされる経験から始まり、欲求を先伸ばしにしたり、断念する経験を程よく積んでいくことで、現実原則に従いつつ、快楽原則も満たすことができる生き方が身に付きます。欲求が満たされないまま、あるいは、欲求を満たすだけで、現実原則を教わることがなければ、バランスを欠いてしまいます。バランスの取れた生き方ができないクライアントの辛さに寄り添いながら、現実に立ち向かっていく力を育んでいくことが、対人援助職に求められるのでしょう。